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【北海道ブロック】理想通りにいかないライフプラン(2025年10月30日掲載) 音声読み上げ


北見工業大学工学部 助教 蔭西 知子

この度は全国ダイバーシティネットワークウェブサイトコラムへの執筆のチャンスを私にくださいまして誠にありがとうございます。私は世間一般より年齢が遅れてから、子どもを得まして、北見工業大学の助教の職をいただきました。現在は育児しつつ、植物分野での仕事も頑張っていこうと奮闘しています。私は結婚してすぐ子どもを二人以上持ち、夫婦二人三脚で仕事をフルタイムでこなす者にはなれませんでした。現在40代半ばで今の仕事(4年目)も子育て(年少)もスタートライン。それもまた一興。私の経験を少しご紹介できればと思います。

私が学生の時、ある優秀な先輩がいて、彼が「生物として生まれたからには出産を経験してみたい」と言ったとか言わなかったとか。それを聞いた当時の私はショックを受けました。確かに出産ってどんなものかと。

その後、20代後半で結婚した当初は非常勤職員として研究員生活を送りつつ、2年後くらいに子どもを授かって、それから自分のキャリアを追求していくのだろうと思っていました。結果、結婚から10年経っても子どもは授からず、その間に私は海外留学を経験しました。留学先では不妊治療のサイトを眺めて、言葉や仕組み、何よりお金がかかる不安から治療に踏み切れず、年齢を重ねるごとにため息をついていました。

さて、留学先から帰国して数年後、なんと一人娘を授かりました。

妊娠中、遠くに住む母に電話をした際に胎児の性別を聞かれたので、女の子と答えました。すると母はしばらく黙ったことを私は覚えています。当時、母は電話口で女性としての孫の人生に思いを馳せたのかもしれません。母は孫娘を溺愛するとても良いおばあちゃんです。

さて、女性の人生について、結婚まで私はあまり気にしていませんでした。社会に出た時に、女性は信用がないのかな。と、感じたことがあったかもしれません。それは性別のためではなく、私だったからかもしれません。私はしばしば自信のない、引っ込み思案な態度を取っては後悔しています。そこを直して、もっともっと活躍することが今の目標です。恐れ入りますが以下は私の性質を少々受け継いだ娘への手紙です。

娘へ

人生は予想していなかったことが色々起こるみたいです。いいことも悪いことも。それはヒトが一人で生きられず、さらに宇宙船地球号に生きるのでしようがない様です。それでも生きて仕事を持っていれば多少は何とかなるみたいです。

私はあなたのおかげで子どもが大好きになり、あなたの兄弟か姉妹が欲しくなりました。私は養子または里子を迎える条件についての説明を受けに、ある相談所へ行ったことがあります。そこで私が聞いたのは、お父さんとお母さんが揃っている家庭で、大人が一人は常に家にいる事といった条件でした。私はとても悩んだのですが、それら条件のために今の生活や仕事を辞めることができませんでした。理由は他にも色々とありますが、仕事に関しては私が私らしく生きるために必要であり、私にとって長い道のりを超えてやっと手に入れた職業だったからです。

あなたはかっこいい男の子に生まれたかった。と時々言いますが、女もかっこ良くて素敵になれます。それを今の私にできる精一杯で見せられたらいいのにと思っています。

私は時々、体と頭がへとへとになります。それでも色々経験しながら、生物だ。生きているなあと感じています。あなたも自分を大切にして、自信を持って、いろんな経験を積んでください。


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