【東京ブロック】
子育てを「外注」したら、気持ちが少し楽になりました(2020年11月20日掲載) 音声読み上げなし
東京大学生物生産工学研究センター 助教 水口 千穂
大学の講義で、生物間で遺伝子をやり取りするという、不思議な話を聞きました。例えば細菌では、「プラスミド」と呼ばれる遺伝子の乗り物を細胞間でやり取りすることで、それまで抗生物質に弱かった病原菌が、急に薬剤耐性菌として猛威を振るうこともあるそうです。人間にもそんな仕組みがあれば良いのにと思いました。そしたら私は、数学や物理学の単位を落として留年を覚悟することもなかったでしょう。
その頃は考えもしませんでしたが、もう10年以上プラスミドの研究をしています。プラスミドは様々な遺伝子を乗せており、中には石油成分などに含まれる有機化合物を分解する能力を細菌に与えるものもあります。上手く使えば、有機化合物で汚染された土壌や水を効率良く浄化することができます。しかし、プラスミド由来の「分解する」能力が発揮されるまでには多くの過程を経る必要があるため、一筋縄ではいきません。この過程で生じる問題を一つずつクリアするための地道な研究をしています。
微生物学の分野は、国内の基準から言えば、特に女性が少ない分野というわけではありません。それでも初めて国際学会に参加した時には、女性研究者が多いことに驚きました。しかしよく見てみると、女性が多いわけではなく、約半数なのです。この時初めて国内の研究者の男女比がおかしいことを実感しましたが、それでも女性であることを理由に不利益を被ったことはありませんでした。状況が変わったのは出産後です。夫は激務のため、私が家事と育児の大半を担うことになりました。どんなに効率良く行っても、研究を進めるにはそれなりの時間が必要です。思うように仕事ができなくなった私は、非常に強いストレスを感じました。
男女共同参画について議論をする時、これまでは「いかに休みやすくするか」に焦点を当ててきたように感じます。それが一定の成果を挙げてきたと感じる一方で、「いかに休まずに働けるか」を議論することも、子供を持つ親とその周囲で働く人達の幸福度を上げるのに重要ではないかと思います。幸い東京大学には、年度途中でも研究に復帰できるようにと大学が運営する保育園があり、この保育園を利用することで産休後すぐに職場復帰することができました。今では民間のベビーシッターや病児保育などのサービスも利用しながら、出産前と同様にというわけにはいきませんが、7割くらいのペースで研究を進めることができています。もしこれらのサービスを利用できなかったら、研究を続けられないどころか、精神的に参っていたと思います。
ある時、知り合いのアメリカ人の先生とお話する機会がありました。「出産後は仕事を休めたの?」と聞かれたので、私はちょっと気まずい気持ちで「そうですね、2ヶ月だけ」と答えました。友人などにこの話をすると必ず「そんなに早く?」という反応が来るので、いつも気まずいと感じていました。ところがその先生は「Good!」と言いました。アメリカでは産後すぐに子供を預けて働き始めることが普通で、「2ヶ月も子供と一緒の時間を過ごせてラッキーだったね」とのことでした。その一言で、子供が可哀想なのではと感じていた気持ちがスッと軽くなりました。子育ての常識など、国によって変わるくらい根拠の無いものなのだから、自分は自分で良いのかもしれないと思えました。
子供が大きくなったら、微生物やプラスミドのことも教えてみたいと思います。冒頭の話に戻ると、動く遺伝子を使っても苦手科目を得意にすることは残念ながらできません。ですが、目に見えない小さな生物が、私達人間にはとても真似できないことをしているということは伝わるかもしれません。その時まで胸を張っていられるように頑張りたいと思います。
研究室ウェブサイトURL
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biotec-res-ctr/kampo/