【東北ブロック】人生を柔軟にそして青山を見つける(2021年12月22日掲載) 音声読み上げなし
八戸工業高等専門学校 教授 横田 実世
日本で生まれ育ちましたが、アメリカのテネシー大学の大学院で形質・自然人類学という理系の人類学を専攻し、法医学系・人体の環境に対応する適応の相違、また、ロシア・シベリアの様々な原住民の頭蓋骨、血液、指紋などを使って民族の歴史的な移動のパターンを研究していました。今でこそ日本でも「BONES」「人類学者:岬久美子の殺人鑑定」などのテレビシリーズで知られていますが、1990年代は特に需要と供給のない分野で卒業しても多くの形質人類学者は大学で教鞭をとるか、ごく一部は博物館や警察関係で働くぐらいで非常に狭き門の世界でした。
アメリカは実力社会です。仕事の内容にもよりますが、ポジションに対してあらゆる実績の候補者が応募するため経験の浅い若手研究者は卒業してもなかなか仕事が見つからないことがあります。ですから日本とは違い1年ぐらいブランクがあっても普通です。私も博士号を取得後、カルフォルニアの大学で教鞭をとりましたが、自分は理論の知識があっても経験がまだ浅いと感じて研究職を探すことになります。アメリカやドイツの研究所に応募して最終候補者まで残るのですが、いつも最後で振り落とされて四面楚歌の気分でした。日本に戻ろうと考えて、テネシー大学時代の恩師に近況報告とお礼がてら電話をしたら、恩師が「(アメリカ)陸軍のリサーチ研究所に知り合いがいるから、コンタクトを取ってみたら。もちろん国家機関だから直接採用はないだろうけれど、プロジェクトベースの契約はあるかもしれないよ。」と言われ、ダメもとで連絡をしたらやはり「国家機関なので無理です。でも新しいプロジェクトがあれば連絡できるかもしれないのでレジメを送ってください。」と言われました。しかしレジメを送って一週間後に「ポジションを作ったので来ませんか。」とお誘いを受けそこからボストンにあるアメリカ陸軍の環境医学研究所で働くことになります。
研究所では私が携わったことのない人間工学・エルゴノミクスの研究を始めます。ただ人体の構造やそれに伴う人種・性別の違いと統計処理の知識はあったので、それをもとに当時マジョリティであった白人男性兵士の為にデザイン設計されていた器具や服を女性・マイノリティーの兵士にも合うようにエンジニアとコラボレーションしてデザイン・検証をしました。またプログラミングを学んで、衣服、運動量、気候、被験者の心拍数を使って生理学的観点から職業安全基準として使われている直腸温を簡単にシミュレーションで推測する研究にも関わりました。アメリカでは女性の社会進出がめざましいと思われるかもしれませんがそれは時と場所によります。私が勤めていた研究部署は当時白人男性が多く、マイノリティー・女性の研究者は圧倒的に少なく仕事のポジションや給料も最初は男性よりも低かったと思います。しかし研究論文を確実に発表・出版することで上層部と交渉する力もつけ、またそれを見ていた周りの同僚のサポートもあり最終的には上級主任研究員となりました。
10年以上勤めて、自分に置かれた飽和状態の環境を見つめ直し転職を考えます。しかし大学院で学んできた分野と実際の仕事の分野がかなりかけ離れていたため自分でも何ができるのかわかりませんでした。ボストンの病院で長年ボランティア活動の一環として患者と病院側を結ぶ諮問委員もしていたので、大手ヘルスケア会社に転職し、当時新しい分野であった患者疾病報告の分野で、医者・病院側からの観点だけでなく患者に寄り添った治療の仕方のリサーチを学びました。ただあまりにも早いペースで様々なプロジェクトが進むので私にはあっていないと感じ、今までの経験を何か新しい形で活かせないかと模索していた時に、たまたま八戸高専で英語を未来の科学者・技術者に教える仕事を目にして現在に至っております。
現在のコロナ感染拡大同様、自分にコントロールできない状況は人生に多々あると思います。世の中の動きやモノに対する考え方に柔軟になると、いたるところが青山になると思います。アウトローな研究・教育者ですが、自分の経験が少しでも未来の研究者に役立てばいいなと思う今日この頃です。