【中国・四国ブロック】「見えないメス」に魅せられて(2022年9月8日掲載) 音声読み上げなし
広島大学大学院 医系科学研究科 放射線腫瘍学 講師 西淵 いくの
放射線治療は手術、薬物療法と並ぶがん治療の3本柱の一つであるにも関わらず、放射線治療医の数は外科や内科と比べて圧倒的に少ないというのが日本の現状です。かくいう私も当初は外科系に進もうと思っていました。そんな私が放射線治療医という道を選んだのは、初期研修医時代にどの科に進んでも必要となる放射線診断学を勉強しようと放射線科での研修を選択したのがきっかけでした。2か月の研修期間のうち1か月を放射線治療部門で過ごし、色も形も臭いもない放射線で腫瘍がどんどん縮小していく様子を目の当たりにして大きな衝撃を受けました。「がんを切らずに治す。放射線治療医は目に見えないメスを持っている。」当時の指導医の言葉は外科系を志望していた私にはとても印象的でした。
1か月の研修を通して放射線治療医を目指したいと考えるようになった一方で、中々決断しきれない自分もいました。当時の広島では放射線治療科へ進む医師は数年に1人程度と非常に珍しく、しかも、広島県内に女性の放射線治療医はたった1人しかいないという状況でした。初期研修医時代は同期にも恵まれ、辛いことがありながらも充実した2年間でしたが、同期はおろか年の近い先輩もいない、女性も1人しかいないという環境は不安も大きく、放射線治療医となった自分の将来像が中々思い描けませんでした。それでも、「見えないメス(放射線)」を駆使してがん患者さんに貢献したいという思いから、放射線治療科へ進むことにしました。
このような経緯で広島大学放射線腫瘍学講座の門をたたき、結果からすると「案ずるより産むが易し」という言葉通り、先生方の熱心な指導をサンドバックのように受けながら、数か月もするうちにいつの間にかすっかり違和感なくなじんでいました。入局翌年に大学院へ進学し、ここから研究者としての人生が始まりました。その当時、当講座の研究テーマは放射線物理学が中心でしたが、「これからは放射線生物学の時代だ!!」という教授の言葉もあり、大学院では放射線生物学の研究を行うこととなりました。
放射線を細胞に照射するとDNAの二本鎖切断が生じ、この二本鎖切断が一か所でも修復されずに残ってしまうと細胞は死に至ります。放射線治療は正常細胞とがん細胞の放射線感受性の差を利用し行われています。しかしながら、照射された細胞がどのようにして損傷を修復しているのか、どのようにして死んでいくのかといった放射線の生物影響については今なお不明な点が多いのが現状です。大学院では「DNA損傷応答におけるヒストンバリアントH2A.Z isoformの関与」というテーマでDNA損傷応答やDNA修復機構に関する研究を行っていました。この研究や大学院時代の経験を通して、見えないメスの奥深さを改めて痛感し、また、臨床とは異なる地道な基礎研究の世界を垣間見て、それまでとはまた違った研究者という視点で、がんという疾患や放射線治療というものを捉えるようになりました。現在は、人工知能技術を用いた子宮頸癌の予後予測モデルの構築や高齢がん患者に対する至適放射線療法に関する研究を行っており、また、臨床試験の立案にも関わらせてもらえるようになりました。
最近は女性の研究者も増え、研究分野によってはロールモデルとなる先生方も増えていることと思います。しかしながら、今なお女性が少ない研究分野も存在し、そのために進路に悩むこともあるかもしれません。それでもやはり、「好きこそものの上手なれ」で、自分が興味のあることに取り組むということが大切なのではないかと思います。今となっては、あの時、意を決して放射線治療の世界に飛び込んだ自分自身を誉めてあげたいですし、当時の自分と同じような理由で迷っている女子学生・女性研修医がいたら「あなたが思うほどにそのハードルは高くはないよ。だから、自分の思うとおりに進めばいい。」と声をかけてあげたいです。
広島大学病院放射線治療科 https://housya.hiroshima-u.ac.jp/