【九州・沖縄ブロック】20歳の頃の私へ(2022年10月11日掲載) 音声読み上げ
久留米大学 学長直属 ダイバーシティ・インクルージョン推進室 特命講師 守屋 普久子
人生は長く、変化に溢れています。
20歳の頃の私に、今の私(60歳)の立ち位置は全く想像できませんでした。
大学の文系学部を卒業後、私は実家のある岡山の放送局に就職し、テレビのニュースや報道番組を作る部署に配属されました。
私が就職した年は、男女雇用機会均等法が施行される前年にあたり、私は同局では3代目の女性記者となりました。当時はニュースでも均等法の話題を盛んに取り上げていましたが、現実は甘くなく、私がカメラマンと取材に行くと「男の記者さんは後で来られるのですか?」と真顔で尋ねられたり、取材先から「女の記者に取材させるとは、バカにしているのか?」と局にクレームの電話が入りました。それでも私たち女性記者を根気強く取材に行かせ、記者としての成長を促した当時の上司たちの覚悟と本気度には、今も頭が下がります。
その後、32歳で結婚し九州に引っ越し、33歳で久留米大学医学部に入学しました。「なぜ医学部?」とよく尋ねられますが、理由は見合い結婚の夫が医学部進学を強く薦めたのと、私自身が“困難なことに挑戦したかった”から、です。
医学部在学中に上の娘を授かり、39歳で医師免許を取得しました。子育て経験を診療に活かしたくて、当時女性医師の少なかった泌尿器科に入局しました。医師2年目で下の娘を授かり、医師4年目で久留米大学医学研究科に進み、4年8ヶ月かかって何とか卒業し学位を取得しました。学位取得後に一旦泌尿器科に戻りましたが、働き方を探して大学院でお世話になった病理学講座に戻り、今は学長直属として、大学全体のダイバーシティ・インクルージョン(DI)推進事業の企画・運営に携わっています。
久留米大学のDI事業は事業内容を3つに分け、それぞれにワーキンググループ(以下WGと略します)を設けて事業を進めています。
これらのWGの運営で難しいことがあります。
それはWGのメンバーがDI活動への興味を失わないで活動を続けてもらうための工夫です。WGのメンバーは学内の種々の部署から自主的に集まった多様性のあるメンバーであり、何よりも手弁当で活動してくれるからです。
この難しさを、美味しいシチューを作る手順に例えて説明します。
まずシチューを作る時には、ジャガイモや人参、玉ねぎ、お肉(我が家はとり肉)などの数種類の食材を使います。人参だけのシチューは考えられないですし、複数の食材を使うことで奥行きのある味わいになります。また作る過程では、ジャガイモが崩れないように注意しながら鍋の中を混ぜます。
DI事業も同じで、多様な意見を集め皆で意見交換し、サポートが必要な属性を見極めた事業にしなければなりません。同じ考えや同じ価値観を持つメンバーの集合体では、事業の多様性に欠けるだけでなく、本当にサポートを必要とする人に事業が届けられるのか、疑問です。
もう一つシチューを作る時に大切なことは、煮込む時の火加減だと思います。火が強すぎると焦がしてしまいますし、弱すぎると出来上がるまでに時間がかかります。適度な火加減で煮込むと、美味しいシチューが出来上がります。
WGも最初から白熱しすぎると、離脱者やバーンアウトする者が出てしまいます。一方、のろのろとした動きでは退屈します。メンバーが常に興味を持って積極的に参加できるように、白熱しすぎず退屈させない頃合いの熱量で進めていくのが、WG継続の秘訣と考えます。
これまでのところ、やむを得ぬ事情でWGを離脱された方以外は離脱者はおらず、WG単位での事業は順調に進んでいます。
今後は、WGメンバーのDI活動への個々の取り組みを評価する方法を考えたいです。このコラムを読まれた方に良いアイディアがあれば、是非教えて下さい!
*左:放送局時代の筆者 右:今の筆者
最後に座右の銘を記します。きっと皆さんの研究活動のヒントになると思います。
・テレビ局時代の上司「人の見ないものを見ろ」
・大学院時代の上司「一つ一つ、コツコツと」
・今の上司「自信を持って」
心に残る言葉は、いつ思い出しても励みになります。
私自身、これからは“言葉”を掛けられる側から“言葉”を掛ける人間になりたいですし、他者を思いやる“言葉”を掛け合う人間関係を築きたいです。