【北海道ブロック】誰もがカラフルに生きるために――先住民フェミニストの視点から――(2023年12月4日掲載) 音声読み上げなし
誰もがカラフルに生きるために――先住民フェミニストの視点から――
北海道大学 アイヌ・先住民研究センター 准教授 石原 真衣
大好きな歌手、シンディ・ローパーは、かつて「あなたの本当のカラーを愛してる。そのカラーをみせることを恐れないで」と歌いました。このセリフを、いま、先住民フェミニストとして、そして文化人類学者として受け取るとき、たくさんのことが見えてきます。われわれ人類は、近代の発展とともに、それぞれの彩りを奪われてしまったのではないか。かつて先住民社会を生きていた人びとは、自分の集団においてのみならず、環境システム、動物たち、自分たちとは違うコミュニティの人間たちとの関係性において、自分の彩りを感じながら生きていたのではないか。そしてわれわれは、いま、自分たちを生かし合うのではなく、損ない合うために、それぞれの彩りを奪われているのではないか。
このような視点にたどり着くためには長い旅が必要でした。アイヌと和人(民族/人種的多数派日本人)の出自に引き裂かれ、どちらからも存在を否定される経験をした私は、なぜそうも頑なに、誰もが私の存在を殺し続けるのかについて人類学的な関心を持ちました。150年前に突如日本の領土に組み込まれたアイヌモシリは、アイヌに存在論的な消滅をもたらしました。アイヌが生きていてもいいとされる空間は、「すでに死んだものとして生きる」ようなミュージアム的空間か、マジョリティにとって脅威にならないようなコスメティックな文化のみを生きるマスコットとしてのみでした。そのようなプロセスの中で、私の先祖も含む多くのアイヌは、混血し続けることを選択し、自らの出自を隠し、文化の継承を諦めました。そこから150年。アイヌに関するあらゆる歴史や文化から断絶した私は、拙著『〈沈黙〉の自伝的民族誌』を書くまで自らの存在を語る言葉を持ちえませんでした。私はそのような存在をサイレントアイヌと名付けました。アイヌの存在が多くの側面において一見消滅したかのようにみえても、結婚差別や、依存症、自死やメンタルヘルスにおける障害、病は色濃く残っています。私は断絶がゆえにアイヌにも、そしてレイシズムがゆえに和人にもなれません。
「どこにも存在しない私」について、かつての先住民社会は、そして文化人類学における蓄積は多くのことを教えてくれます。構造と構造のあいだに存在することがら、人間は、儀礼的な存在であると言ってもいいかもしれません。かつての人類は、わからないものを畏れ敬うセンスに満ち満ちていました。何もかも理解・分類できる、何もかも人間のテクノロジーでコントロールできる、なんて思っていなかったでしょう。構造と構造のあいだにあることがら、人間は、危険な存在であるとともに、あたらしい活力や文化を生み出す存在であるともいえます。
私が文化人類学を通じて得たこのような知見は、サイレントアイヌのみならず、さまざまな民族・人種的マイノリティの属性を持つ当事者、セクシュアリティやジェンダーアイデンティティにおいてマイノリティ性を持つ人びと、原発事故後を生きる人びとやヒバクシャの子孫、犠牲区域を生きる人びととの交流をもたらしました。私は特殊な近代を生き抜いている日本社会には、まだ多くの沈黙や語られることを待っている物語、そしてまだみぬ彩りがあるのだと思うようになりました。
人間は本来誰もがカラフルな存在です。マイノリティは社会的困難がゆえに、もしかしたらその彩りについて、自分で気がつく機会が多いのかもしれません。痛みや苦悩、傷、しんどさは、それがそのままその人の彩りの一部でもあるからです。しかし、一見マジョリティにみえるような人びとも、当然誰しもが痛みや傷を抱えていますし、それぞれが生きてきた人生もあります。シンディ・ローパーは「あなたの本当のカラーを愛してる」と歌ってくれますが、私もまた、どのような背景をもつ人であっても、その人のカラーを見せてくれたときに何よりもその人への信頼や尊敬、そして愛情をもつことができます。
ダイバーシティがこれまでになく叫ばれるようになったいま、お仕着せの彩りなんかではなく、一人ひとりが、自分の彩りをみつけ、恐れず愛おしく思えるようになることが大事なのではないでしょうか。これからも「本当のカラー」をシェアし合える連帯をつくっていきたいです。