【東北ブロック】「ガクチカ」の向こう側へ(2025年2月6日掲載) 音声読み上げなし
東北文化学園大学 経営法学部 経営法学科 准教授 大野朝子
私が東北文化学園大学、総合政策学部(現在の経営法学部)に助手として着任したのは1999年です。もうはるか昔のことのように感じられますが、この年月の間には、実にさまざまな出来事がありました。やはり、一番大きな出来事は、2011年3月11日の東日本大震災でしょう。この時、私は学会出張で東京に滞在していました。その日々のことは、もちろん記憶に残っていますが、正直なところ、あまり思い出したくはありません。ただ、仙台に戻ってから、キャンパス内の水道設備が地域の方々のお役に立っていたことを聞いて、あたたかい気持ちになりました。震災の混乱の中、給水活動をしてくださった方々には頭が下がる思いです。
震災後の数年間は、慌ただしく飛ぶように過ぎて行きました。しかし、もともと日本は地震の発生率が高い国なので、こうしている今も、油断はできません。日々の備えが大事、と言いますが、大地震が発生した時に頼りになるのは、防災グッズだけではありません。私は防災のプロフェッショナルではありませんが、緊急時に役に立つのは、人と人との協力関係であることはわかります。
このエッセイのタイトルは「ガクチカ」の向こう側へ、と決めました。地震の話と「ガクチカ」はどうつながるのか、と疑問に思われることでしょう。私が目下、目論んでいることは様々あるのですが、そのうちの一つに、「人とつながることのできる学生を育てること」があります。実は東北文化学園大学のキャッチコピーは「人のため 世のため 輝ける者を育む総合大学」です。私は個人的に様々なボランティア活動に従事しているのですが、去年から学生たちも誘って活動に参加することを始めました。
私が現在関わっているのは、「プレーパーク」の活動です。私の専門は文学で、主な担当科目は英語ですが、学生との関わりの中で、アウトプットの必要性を強く実感するようになりました。寺山修司の言葉でいうと、「書を捨てよ、まちへ出よ」です(本当は「書」は捨てないで欲しいのですが)。プレーパークの活動場所は主に地域の公園で、私たちボランティアの仕事は地域の子どもたちが自由に遊ぶのを見守ることです。プレーパークには海外のご家族も遊びにいらっしゃるので、イベントの時は外国語も飛び交っています。
私が「プレーパーク」なるものを知ったのは、NHKの「ドキュメント72時間」という番組で、タイトルは「“どろんこパーク”雨を走る子どもたち」です。紹介されていたのは川崎市の遊び場でしたが、「こんなに自由に思い切り羽を伸ばして遊べる開放的な空間があるなんて!」と、目から鱗がボロボロ落ちました。その後、ご縁があって、仙台のプレーパークのワークショップに参加させていただくようになりました。そのような「楽しすぎる」きっかけを経て、つい先日は、「西公園プレーパーク」の新年恒例の餅つき大会に学生4人とお手伝いに行かせていただきました。一緒に行った学生たちは就活真っ盛りの3年生です。ご飯を蒸すために火を焚いたり、杵で蒸したお米をついたり、お餅を丸めたり、子どもたちと遊んだり、と楽しい時間を過ごさせていただきました。このような活動と就活には、一見何のつながりもないように見えると思うのですが、もちろん、そんなことはありません。確実に、栄養ドリンクのように学生たちの体に効いていると思います。一人の学生は、「普段人から褒められることがないけど、お餅を丸めるのが上手だと言われて、嬉しかった!」と言っていました。他の学生は、参加者のご家族の赤ちゃんを抱っこさせてもらって、とても幸せな気分になっていました(そのおかげで彼のニックネームは「イクメン」になったのですが)。ボランティア活動では、学生同士のつながりもでき、普段話さない学生とおしゃべりをして、情報交換も進んでいるようでした。
就活の面接で、「ガクチカ」を聞かれて戸惑う学生が多いと聞きますが、いろいろな人たちとつながり、ボランティアを通じて地域と連携できる学生たちは、面接も怖く無くなるはず、と信じています。さらに、「人とつながる」ことができる若者は震災時などの緊急事態でもきっと柔軟に対応できると思います。大学の職を得たばかりの頃はゴリゴリの文系人間だった私も、様々な経験を経て、積極的に外とのつながりを作れるようになりました。周囲の方々のサポートをいただきながら、仕事を続けられたことに感謝をしています。