【近畿ブロック】自分にとっての正解を生きる ~心理臨床家の視点から~(2025年8月4日掲載) 音声読み上げ
大阪工業大学 工学部 総合人間学系教室
教授 大谷 真弓
私は現在、大学教員として心理学分野の講義を担当するのと並行して、学生相談室および精神科診療所の臨床心理士として働いています。心理士としてお会いする女性クライエントのお話をお聞きしていると、個々の女性自身の悩みの背景にある、社会の変化の影響を感じずにはいられません。そしてその影響は私自身も身をもって体験してきたものです。そこでここでは、大きな時代的な変化の中で、大学、大学院と進み、就職し、出産、子育てを経験する中でどのように現在に至ったのかを、心理臨床家としての目線からたどってみようと思います。
現在は多様性が重視される時代となりましたが、私の子どもの頃(団塊ジュニア世代!)は、昭和の価値観がまだまだ根強く、女性は高校や大学を卒業後就職し、結婚して寿退社、出産し子育てするのが王道のように思われていた時代です。ですが私は、自分がそのような王道を歩くことを全くイメージできず、自分の道をどう切り拓いたら良いのだろうか、と考えるようなマイノリティでした。今振り返ると、そうした思いを抱くようになったのには、叔母の影響が大きかったように思います。
叔母は女子の大学進学率が10数%だった時代に大学に進学し、卒業後には当時は珍しかったであろう起業をしました。生涯独身で過ごし副社長として会社を切り盛りしていた叔母は、ユーモアーがあり、自立心にあふれ機知に富んでいました。私にとっては一番の理解者で、進路の悩み相談によく乗ってもらったものです。自分の人生をしっかりと自分で背負っているように見えた叔母は、私にとって女性の生き方のモデルとなる一人でした。他方で私が育った家庭は、父がサラリーマン、母が専業主婦という、昭和の典型例です。身近なところに、伝統的な女性像と先進的な女性像があったわけです。大学進学の頃、女子の大学進学率は4割ほどに上昇していましたが、それでも「女の子なんだから、分相応の大学に進んだらいいのに」「地元の大学に進むのが親孝行」と周囲の人たちから言われることもあり、まだまだ男女に向ける意識の違いを感じました。こうした時代背景を持ち昭和の典型的な家庭ではありましたが、父母から「女の子だから~~」という考えを押しつけられなかったこと、そして叔母の生き方を間近で見てきたことは、私の進路に無意識のうちに影響を与えていたようです。
大学入学前後、自分に合った職業は何だろうか、どの分野に興味関心を持って働くことができるだろうかと悩み、入学したのが文学部、その後法学部に転学部し大学院は教育学研究科と、転々と様々な分野に足を踏み入れてゆきました。そして、最後にたどり着いたのが、現在生業としている心理臨床家の道です。クライエントとお会いしていると、人の生きる道に客観的に示されるような正解はなく、自分の持てるものは何かを知りどう生かすか考え、自分の人生を自分で背負っていくことが、真に納得して生きていくためには必要だとつくづく感じます。そして私自身、図らずも子どもの頃からそうした道のりを歩んできたことに改めて気づかされます。
大学院修了後は、心理臨床家としての実践が継続できることを一番の条件として考え、幸いこの条件を満たす職につくことができました。周囲の方々に助けられながらではありますが、役割を果たすために精一杯仕事に注力していたと思います。しかし、出産によって生活はがらりと変化しました。やはり、生身の人間を育てるということは、生活や考え方に与えるインパクトが大きいですね。生まれるまで想像もできなかった生活、葛藤が待っていました。
一番葛藤したのは、限られたエネルギーと時間をどこに使うか、ということです。子どもと一緒に過ごし、その成長を間近で感じられることは、充実した豊かで貴重な時間であり経験です。でも、仕事の手は抜きたくない。これは多くの方が悩まれるところだと思いますが、私自身も仕事と子育てをどのように進めていくのか、大変葛藤しました。役割を与えられている仕事はもちろん確実に全うする必要がありますが、自分が選択できるもの。例えば、研修を受けに行きたい、集まりに顔を出したい、という場合や、仕事やお役目を引き受けるかどうか。出産前には躊躇なく踏み出していた内容でも、出産後は器用にこなすのが難しく、何かを「しない」選択をせざるを得ませんでした。当時、悩みながらも「子どもの心身の発育にとって必要な時間を最優先しよう」というのが私の決めた道でした。とはいえ、潔く割り切って過ごせたわけではなく、納得してその生き方を選んでいるのにも関わらずモヤモヤを抱えながらの日々。子どもが成長し、徐々に親の手から離れてゆくにつれ、エネルギーや時間を割く配分も変化するため、常に比重を推し量りながらの生活が続いています。
女性の生き方は、バラエティーに富んでいます。選択できる道もあれば、選択したくても進むのが難しい道もあります。自分で納得して選択していても、他の道を歩む人を見て焦ったり、羨んだりする気持ち、情けない思いや悔しい気持ちが湧くこともあります。多様な生き方があるからこそ、自分の選択しなかった・できなかった道を想像し、モヤモヤするんですね。モヤモヤしてしまう自分に嫌気がさすこともありますが、ちょっと俯瞰して見てみると、割り切れないからこそ人間らしく、悩みながらも前に進み続ける人間のけなげさを慈しみたい。そんな思いが、臨床家としての自分の原点にあることに思い至ります。
時代によって悩みの内容は変化しますが、同じ時代を生きる女性であっても、唯一の正解があるわけではありません。それぞれが、自分にとっての正解を見つけ、主体的にその正解を生きられることが大事なのかなと思います。若い方たちには、色々と迷いながらも、その場その場で納得できる道を選び、それを正解にしていってもらえればと切に願います。