【関東・甲信越ブロック】手を挙げること、声を挙げること ~能力とキャリア、多様性との折り合い~(2026年2月16日掲載) 音声読み上げなし
新潟大学脳研究所附属統合脳機能研究センター 臨床機能脳神経学分野 特任助教 横山 裕香
私はこのコラムに寄稿できることをありがたいと思うと同時に、表題にした「手を挙げること」「声を挙げること」とは何かと考えています。みなさんは何を思い浮かべますか?
私の母方の祖母は香川県第一号の女性歯科技工士です。女に学問は必要ないと大学受験はさせてもらえず、「ならば手に職」と歯科技工士の資格を取得したそうです。ただ、技工士免状があって素晴らしい仕上がりでも「女だから」という理由で仕事がないことや無報酬は当たり前でした。そのため、営業は歯科技工士の祖父がして、祖母の名前は出さずに作業は二人で行う形態でした。それでも祖母の存在が分かると不当に報酬を下げられることもあり、二人とも過労と心労で病にかかりながらも自宅の仕事場で作業していました。
父方の祖母はその地区のJA婦人会の会長で、婦人会の売り上げを過去最高にしました。勉強は苦手といいつつ、編み物・縫物・料理・人間関係の調整・消費者ニーズを読み取る力と開発・実行力、そして強靭な体と体力がそろった女傑です。ただ、彼女の能力を潰さず、意見を取り入れつつ方針を決めて調整していたのは組織トップを務めた祖父でした。
二人の祖母に共通しているところは、当時の女性への偏見が激しい中で能力を活かす場を作る・協力する祖父がいたことです。
昨今は女子枠、女性限定公募、外国籍研究者優遇、男性の育児・介護休暇、LGBT-Qへの理解など多様性の名のもとに社会的に能力を生かせる場を作りつつ、核家族化に対応する動きが活発化しています。「女性は家庭に入ればいいから採らない、男性はキャリアや家庭を養う必要があるから採る」といったこれまでの社会構造から、社会の変化に合わせて研究費の申請、採用制度、介護や育休などの金銭的支援や制度に男女問わず手を挙げやすくするための支援などが整ってきました。
一方で、「既存の枠を女性研究者・外国籍・若手研究者に限定する」ことで分野がマッチしている若手~中堅の日本人男性研究者が応募自体できず、キャリア継続が困難になる問題も見受けられます。また、男性が育休を取っても、産後の女性と子供の世話をせず資格試験の勉強をする、もしくは自身の休暇として使うため、妊娠出産後の女性の負担が増えるという制度の趣旨とは異なった使用による問題も出てきています。
露骨な男尊女卑による問題の改善や能力を発揮するために推進しているはずの政策が、本末転倒になっている部分は否めません。
生物学上の体力差、構造差(月経・妊娠・出産)、島国という移動しないことが前提で構成されてきた文化・社会構造(社会的地位の高い男性の意見が通りやすく、女性や若手男性の意思や意見が軽視されやすい)など考慮する点は多くあります。無意識のうちに構造や考えに組み込まれているものの「可視化」や「変革」は大きな批判を伴います。現在の女性・外国籍・若手限定公募も「中堅~ベテラン男性研究者たちが論理的な批判の声を挙げる」ことにより、今までの女性・若手・一部の男性研究者が声を挙げても透明化されていた問題が「可視化」されました。
もし、女性・若手・一部の男性研究者の挙げる声が徐々に反映されていたら、ここまで劇的な名前の制度になったでしょうか?緩やかな変化とそれに伴う意識変化を基に実施される適切な競争に変化したのではないでしょうか?それとも、日本初の女子大設立や帝大への女子大生受け入れのように立場と権力のある男性たちが推進していたなら不満や批判がありつつも称賛する声も起きたのではないでしょうか?
今の若手~中堅研究者は協調性を重視する義務教育を受けてきたこともあり、限定公募に対して違和感を抱いています。アカデミアに限らず、問題が「可視化」されている今、声を挙げ続けて決定権を持つ人間の意識を変えるか、お互い様と協調しながら世界に対してトップの競争ができる人間を増やせる機会ではないでしょうか?
全国ダイバーシティネットワーク